「能取湖」のベルーガ「コリン」が亡くなりました
大変悲しいお知らせをしなければなりません。
「能取湖」に住み着いて5年になる、ベルーガの「コリン」が船のスクリューに巻き込まれる事故により、死亡しました。
4月10日の「今年初映像」を見ていただいたばかりで、5月に入ってからも元気な様子が見られていた矢先の出来事で、残念でなりません。
6月4日午前10時に、石垣洋一さんが、湖畔に打ち上げられた状態の死骸を確認しました。翌5日の早朝、「見守る会」の松村東京農大教授と共に再確認に向かったのですが、潮に流されたようで、その姿は無くなっていたそうです。
5月20日には元気な姿が目撃されているので、事故は5月末から6月にかけての1週間程の間に起きたようです。
記録された写真を見ると、頭から腹にかけて、内臓にまで達する深いキズが数か所にわたってあり、明らかに、比較的大きな船のスクリューによる事故で、おそらく即死したものと思われます。
本来、北極圏に生息するベルーガが遠く離れた北海道に定住するという、日本で初めての事例は、残念ながらやはり「事故」という想定されていた事態により幕を閉じてしまいました。
野生動物が人間社会に入り込んできた場合、人間側が普段の生活を抑制させる程、相手に気をつけてあげない限り、(そもそも1頭の動物に対してそこまでは出来ないのが人間社会でしょうが…)「事故」のリスクは大きいものです。
「イルカ」について言えば、人間社会の傍に定住したケースでの死亡原因はほぼすべて「船のスクリュー」によるものです。
「船のスクリューにカバーをつける」という対策は、費用面さえクリアー出来れば簡単で有効なものです。しかし、「能取湖」は、海中の藻が非常に多く、カバーをすると藻が巻き込まれ、船が航行出来なくなるため、それが出来ませんでした。
「コリン」は毎年、スクリューに触れてケガを負っていたこともあり、地元では、「船に近づいたら警報を鳴らす」とか「赤色灯を点灯させる」とか、事故を防ぐための様々なアイデアが持ち出されていたのですが、とにかく「コリン」は好奇心が強く、おそらく何をやっても興味深々で寄ってくるだろうと、有効な対策は、結局とることができませんでした。
これは心残りというよりも、「イルカと人間の接点」で必ず起きる問題と認識したうえで、今後考え続けなければならないことでしょう。
これは機会があるたびに指摘していることですが、日本で、「イルカ」は「水産資源」であり「害獣駆除」の対象であって、「ドルフィンスイム」や「ウォッチング」など、人間と触れ合う相手としては全て「想定外」のこととして未だに対応がなされていません。
今回「コリン」の件でもマスコミは、専門家として「鯨類研究所」など、イルカを食料として研究している機関に解説を仰いでいる状態です。水族館のイルカと野生のイルカの違いすら気にしないレベルのままで、「コリン」のようなケースの専門家は日本には存在しないということが分かっていないように思います。
あえて言えば、地元で交流を重ねた方々こそがその「専門家」なのです。
群れから離れ1頭だけで暮らす「離れイルカ」は、必ず人間に寄ってきます。
「コリン」のような例は、今後、確実に増えてくるでしょう。そうした時にどう対応すべきか、一刻も早く「対応マニュアル」のようなものを作成しておく必要があるでしょう。そのために「コリン」の犠牲を生かさなくてはならないのです。私としてはそのために出来ることとしてまず、能取湖周辺で「コリン」と関わった「専門家」の方々に、広く聞き取りを進めたいと考えています。
「コリン」はなぜ、どうやって能取湖へやってきたのか?
「コリン」は湖が凍る冬の間、どこでくらしていたのか?
「コリン」はなぜ、リスク覚悟で人間に近づいてきたのか?
様々な疑問は未解明のまま残ってしまいました。
でも、海の中からじっとこちらを見ていた彼女の目は
そんな人間サイドの疑問は解明の必要もないと言っていたように思えるのです。
出会えたこと自体、素晴らしい。それだけで十分だろうと…。
「コリン」が最後に出会った人間の子供だったかもしれない、5月4日に撮影された映像を、写っているご家族の了解のもと、ブログに公開しました。
この子たちにとって「イルカ」は海の中にいて、いっしょに遊んでくれる相手なんだと記憶されたことでしょう。
そんな人間の子供が一人でも多く育ってくれること。それが「コリン」の願いだったのではないでしょうか。
「見守る会」としては、「コリン」の存在意義を何らかの形で後世に伝えたいと考えています。
しばらく時間をいただいて「会」としてコメントを出したいと思います。
石垣さんから第一報を受けたものとして、皆様に、まずご報告させていただきました。
この5年間、本当にあたたかく「コリン」を見守っていただいたことに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
2020年6月6日 坂野正人